すべてはイメージからはじまる!

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本を作る、読む、見る。愉しみはそれぞれ、人それぞれです。

その愉しみの先に見える自分や大切な人の家。書店や図書館の中……。

そこではたくさんの本が顔をそろえ待っています。

自費出版に関心があったり、本を作りたい、書きたいと思ったりしたなら、一度上記サンキョウ書店ホームページをのぞいてみてください。

本ができてくるまでのささやかな物語です。

ある東大理三生の思い出

暇な時、本棚を眺め懐かしい本に眼がとまる事がよくある。

『東大合格生のノートはかならず美しい』(文藝春秋)。

本屋でも図書館でも、商売柄まず最初に見るのが奥付けだ。初版2008年9月か……、この本がベストセラーになって既に15年が経つ。この本をきっかけにドット入り罫線のノートまで発売されるほどだったな。

そこから導き出される思い出は、ある東大理三生のことだ。

当時出入りしてた版元が理三生に物理の本の執筆を依頼していた関係で会う機会が何度かあった。

彼が版元へ来るのはたいてい夜で、医学部は実習が多く大学終了後の夜以外に時間がとれないからとの理由であった。

そんな多忙な毎日を送る中にあって、ゲラのチェックの合間には気さくに話しかけてくれてとても好感がもてた。そんな調子だったので、話題になっていた上記の本について聞いてみた。「ホントに東大生のノートってのは美しいの」かと。

するとカバンの中からノートを目の前に「どうぞ!」と差し出してくれた。

開けたノートには、臓器のイラストとその説明が丁寧に書き込まれていた。

仕事で本のレイアウト見本はよく目にはしていたが、このノートには驚かされた。誰がみても一目瞭然に整理整頓されたノート、否これは既に出来あがった本とさえ言えるノートだった。「人それぞれでしょうが」と言ったように記憶するが、それは確実に美しかった。

頭のよい人間は、文章などが頭の中ですでに出来上がっていて、それを頭に外に書き出すだけとの話は良く聞くけど、彼もそんな能力の持ち主だったに違いないと思ったものだ。

彼はゲラでも計算ミスは殆どなかったが、これは他の理三生にも共通して言えることでもある。数学や物理など数式の文字組はとても骨が折れる作業なので、彼らとの仕事は初校以降はたいへんに楽させてもらった良き思い出ばかりだ。

逆に某大学の化学の教授のゲラは再校、三校と数式の赤字が多く脳天ブチ切れの連続であった(笑)

その時からどれほど後だったか、ある日たまたま読んでた新聞記事で彼の近況を知ることになった。

その記事は、大学病院に勤務しながら、月の1/3ほどは東北大震災の被災地で被災者を診療している彼の活動を伝えていた。

あの美しいノートを見せてくれた彼の姿を思い浮かべると同時に、医師として人間として頭が下がりつつ嬉しくなった。

本に使用する洋紙選び

先日馴染みの洋紙屋さんから、「全ての製紙会社が2月から板紙を除き全品一律用紙単価を25円値上げ」との電話があった。用紙単価とはキロあたりの価格を指す。本の売れない時代にこの値上げは痛い。

その上、結局は読者へ回るわけだから、本の価格上昇による本離れと危惧される。文庫の新刊が1,000円以上が普通ってどうなんだろう?

先ほど本屋のホームページを見てると、“用途別に紙を徹底大紹介”との本がベストセラーに入ってた。本に限っていえば用途別といっても特殊な紙はせいぜい見返しか表紙で、実際の用紙選択の余地はそれほど無い。仕事場の本棚に目をやれば、洋紙の見本帳がズラッと並んではいるが、廃紙になった用紙のなんと多いことか。

用紙は単純に①読み物 上質紙。クリーム系②写真・画集など色諧調重視 コート紙かアート紙。マット系。でよいと思う。

当たり前のことだが、本は読むため見るための印刷物である。印刷適正を無視した選択はありえない。そして次はコスト。高級写真集や画集は定価も相当に高いが用紙だって同様に高価で、現在は注文生産だったりする。

で、最初の話である。用紙25円の値上がりはバカにできない。大ごとだ!

まず見本帳を見る。捲るとたくさんの銘柄がパラパラ製本されている。各銘柄には仕様が表記されている。例えばこうだ。

銘柄 ⚫️⚫️ 46/Y 56K。46判/横目。46版 横目 56キロと読む。この銘柄は他に66キロ、75キロが用意され、用紙単価は205円。

本の仕様を、ソフトカバー 四六版  240頁。自費出版を1,000部、商業出版を5,000部と設定。本文用紙の必要実数はそれぞれ4,000枚 19,000枚となる(※本文用紙は大概1,000枚単位で販売される)。 それぞれのキロ数でコスト計算すると、

銘柄     値段(1,000部) 値段(5,000部) 束(本の厚さ)

⚫️46/Y 56K  45,920円  218,120円(税抜) 約14ミリ

⚫️46/Y 66K  54,120円  257,070円(税抜) 約16.5ミリ

⚫️46/Y 75K  61,500円  292,125円(税抜) 約19ミリ

(※束にはカバー、表紙の厚みは含みません)

普通に選ぶなら56キロ。束を出したいならせいぜい66キロだろう。版元が束を出したい理由は①ページ数が少ない又は②本をぶ厚く見せたい。いずれも定価に見合った本の見栄えが欲しいからだ。

ここで示したコストは本文用紙のみで、当然表紙、カバーなど他の用紙も本には必要となってくる。くれぐれもお忘れなきよう。

本作りが初めてな方の多い自費出版者であれば、尚更ムダなコストは注意して欲しい。業者さんとよく相談し、良い本を良いコストで制作していただきたいと思います。

 

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自分史を作る(或は創るまたは造る)ことと自費出版者との関係

本を作っていて思わされるのは、文字や写真に収めた人の時間が結びつき、その先に本として表れるということだ。 そのことは自費出版で強く意識させられる。出版社での本を作る目的は作ることと売ることにあるのに対し、自費出版の多くは本を作ることそのものだけが目的となっているからである。

自費出版を希望する方との会話中、「自分史」という言葉をよく耳にする。しかし、その言葉に含まれているのは、「自費出版しませんか?」といった広告の一コマの狭隘に言葉を閉じ込めてしまっている気がする。 だから相談では、改めて「自分史」とは何かと伺ってみる。

創作であれイメージであれ、自分自身の生に依存せざるをえない感性を素通りしてしまうのは天才のみであって、普通では起こり得ないものだ。だから一般的に創作と呼べるものは、写真であれ絵であれ文章であれすべてについて「自分史」なはずである。

自分自身以外は知らない、知って欲しくない、知られたくない……など含んでいようがいまいが、それら行為のすべてを含めての「自分史」であることは、本人自身のみが知りうる自分史でもある。

新年2021年1月、森を散策。静けさは心地よく、そこには森の「自分史」も広がっている。 森の中には池があり、凍った水面の下には落葉が閉じ込められ、氷の上には周囲の木々と光が映りこんでいる。

池に向かいシャッターを押す。それぞれの人の「自分史」もそこを通過する。

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Nikon D800 VR16-35mm F4 35mm 1/250

ガルシア=マルケス『百年の孤独』とカール・マルクス『資本論』

今年もあと僅か、とはいえコロナウイルスの影響は新年一月を迎えるという雰囲気はこの12月には皆無で、あるのは来月が13月だというただ漂いゆく空気ばかりだ。
外出を控える傾向が最大になりつつでありますが、こんな時こそ読書です。
コロナ禍に読むべき一冊として、『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス 鼓 直 訳 新潮社)を上げたいと思います?
すでに読んだ方も多いとは思いますが、この傑作は何度も読む価値をもち、百年間が濃厚に凝縮された小説です。

それに合わせてもう一冊! というのは先日「千夜千冊」の松岡正剛さんの「本は3冊同時進行で読んだほうがより理解できる」との記事を朝日新聞で目にした影響からです。
3冊とはいいませんが、合わせて読むならと思いついたのがマルクス『資本論』です……が、この難解な書をいきなりではキツイので、『シリーズ世界の思想 マルクス 資本論』(佐々木 隆治 KADOKAWA)をお薦めしたいと思います。『資本論』第一巻に絞って丁寧に解説された入門書で、『資本論』を読みたくなること間違いなしです。

ちなみに世界の名著を紹介するテレビ番組『100分de名著 』(NHK Eテレ)の2021年1月からの放送は『資本論』。講師は著書『人新世の「資本論」』が話題の斉藤幸平氏なのも楽しみ倍増です!

ある家族の100年の歴史のある家族とは

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もうすぐな季節

本を執筆している皆さんにとって、年をまたぐこの時期は来年の出版へ気合いの入る季節…、
編集サイドでは、この時期にどうか原稿が早く上がってくれと願う季節…、
…でしょうか?
しかし…気分転換も忘れずに!

まぁ正月休みは彼とこんなところです。あざらし犬(新種)

自費出版は慈悲出版ではないのである

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『正木ひろし著作集』(三省堂)

図書館の魅力はまだ知らぬ本や著者との“未知との遭遇”はもちろんだが、思わぬ本との再会にこそある気がする。人は本と再会することで過去と今の自分を知ることになる。図書館の本の検索機はそんな橋渡し役だ。
検索機のモニタ上にそんな再会が訪れると、懐かしき書名や著者へと引きつけられていって、目的の本そっちのけで当時の様々なことへと誘いはじめる。

再会したのは正木ひろしだった。
『正木ひろし著作集』全六巻(編者 家永三郎 佐伯千仭 中野好夫 森永三郎 三省堂)。

正木ひろし著作集は絶版なようだ。図書館ありがとう!

映画に貪欲だった高校時代、「参考文献」にしていた一冊に『日本映画名作全史 戦後篇』(猪俣勝人著 現代教養文庫)があった。戦後の数々の名作邦画が紹介されたこの本に映画『真昼の暗黒』(監督・今井正 1956年)が載っていて、原作者が正木ひろしで弁護士とあった。この名を知ったのはその時がはじめてだったと思う。この本は今も手元にあるが、結局この映画を見ることはなかった。

借りた『正木ひろし著作集』は、最近ではあまりお目にかかれない立派な体裁でA5版。弁護士事務所の本棚に並ぶ法曹関係書といった風格だ。
ブックケースはないが多分あったろう、臙脂色の表紙は用紙自体の美しさが活かされて、書名と著者名のみが背に箔押しされ金色が美しい。花布はクリーム色で栞はない。本を開くと糸でかがってある。最近は製本技術の向上で糸かがりも減っているようだが、開閉の頻度が多かったりページ数の多い本には必要となる。不特定多数が使用する図書館の本にとっては、本を丈夫で長持ちにしてくれる“糸かがり”は強い味方になる。など考えつつ……
そして思い出す。図書館へ来た今日の目的は本の問い合わせのためだったのを。これはいかん! そっちのけだ。頭の中からは正木ひろしも消し去っている、こっちもそっちのけだ。

まぁあわてるな、とも思う。本のテンポは社会とズレているものだ。否、でなければならない。本の持つ時間は人間本来の持つ時間に沿っているからこそ本を読み、そして考えるのではなかったのか。
路地裏に入らずして旅は語れない。路地裏に入って旅の密度は何倍にも膨らむ。路地裏万歳!
想いのまま流されてみる。黒澤明、小津安二郎、溝口健二、大島渚、今村昌平、浦山桐郎、勅使河原宏、武智鉄二、吉田喜重…などなど日本映画の巨匠たちの名前が広がって作品へと導く。
正木ひろしとは帰宅してゆっくり再会すればよい。

追記*自費で本の出版を考え迷っている方は、ためらわず図書館への直行をお薦めします。きっとあなたの本があるでしょう。

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本には木の血液が流れゆく

図書館からの帰りに隣接する公園で見たのは、無造作に切られた一本の木の死にゆく姿だった。年輪をさらされても歳を語らないで在る。
切られて間もないのか、その年輪はぱっくりと空を見上げ、太陽の光が樹齢を刻むそこを照らし艶っぽくみえる。

木は紙になり本になる
切られた木の傷口は体液で輝く

図書館から借りて来た手に持つこの数冊の本たちも、かつては太陽に恵まれた森の中で生きる木だった。木は森で育ち紙が生まれ、その紙を束ねて本になる。

子供の時も本の仕事をするようになった今でも、本はいつも側にあって、紙への愛着がある。
仕事場の本棚には紙の見本帳が並んでいて、その中から用紙を選びだしてくれるのは本自身だ。用紙の種類は膨大だが、木の種類の豊富さに比べれば小さい世界に過ぎない。
人はその紙へと言葉やイメージをインクで満たし、紙は本となって読む人の好奇心や知識を拡げ満たしてくれる。

木に比べ本の命は短いけれど、人のそれはもっともっと短命だ。
人の多くは記憶を残さず終止符をうったが、本を作る事は欲していたはずだ。わずかな人の記録は本に残されたが、時間と空間を超越できた本はさらに少ないだろう。

マルクスの残した『資本論』はそんな生き抜いてきた本の一冊だと思う。
最近、この難解な『資本論』について書かれた、『人新世の「資本論」』(斉藤幸平著 集英社新書)や『武器としての「資本論」』(白井聡著 東洋経済新報社)といった解説本がよく読まれていると聞いたからだ。
『資本論』はこの先も、累々と積み重なる挫折者の山を築いてくれるにちがいない。

紙となる木を、マルクスなら何と表現するだろう。

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探検部結成

小学生時代の友人と二人「山登りてぇなぁ」とのお気軽な会話で探検部を創設したのは去年(2019年)。山岳部ではなく“探検部”としたのは言葉の響きが良かったからで、目標はかなり高くキリマンジャロだ。
この友人とは藤子不二雄を目指し(?)漫画を描いていたが、二人ともまったく別の道へと進み現在にいたる。特に漫画家を目指したわけでもないから作品は未完の末に消滅したが、愉しかった記憶は今につづいている。当然ながら悔いはまったく無い。

結成を期に探検部ロゴを作ってみる。

環境に優しいぷぅ〜探検隊Pooh Explorers Club」

スカルが被っているのは小学生時代にクラスで結成したチームお揃いの野球帽だ。友人が大切に保存していたおかげで奇跡の復活登板となった。
キャップなんて言葉のなかった当時、野球帽以外の服装はバラバラ、ユニフォーム一式揃えるなんて発想は子供たちにはなかったが、これで大満足だった覚えはある。今この帽子を見てあのバラバラ感がけっこう活き活きとみえてくるのは、現実の社会があまりに均一化した物、事、風景、空気に囲まれていて窮屈でつまらなく思えるからか。

この帽子の向こう側に広がっていた当時の土、泥、木、森は消えてしまった。もちろんそこに住む生き物も……。ほとんどが宅地や道路へとなって記憶を辿る困難さだけが残った。何で読んだかは憶えてないが、“景色の破壊は記憶の破壊”との言葉が強く脳に響く。記憶を辿る道のない今の風景に愛着など全くないのは当然だろう、記憶を必要としない都会だけが意志無く拡張してゆく。
道路工事は延々と今にいたっても行われ続けている。そんなに道路が欲しいなら、いっそ土地を真っ平らにして全部道路にしてしまえばいい。日本的“ふるさと作り”の見本となって称賛されることだろう。

本の仕事にたずさわっていると、商業出版でも自費出版でも感じるのは、記憶の消滅との抗いだ。数年、数十年経て、電子本(デジタル)が書籍(アナログ)を隅っこへ追いやる時がくるだろう。そうなった時、記憶はどこに留まるのだろう? 記憶はカタチに宿る。デジタルには宿らない。

ロゴを見せた友人がスカルの被る帽子の泥を見て、
「帽子を洗っとけばよかったな」と言った。
「汚れを取っちまったら記憶もとんじまうじゃねぇか」と思った。

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世界最大の祭典2020

とらんぷ? ばいでん?

ばいでん? とらんぷ?

二〇エレのリンネル = 一着の上着

一着の上着 = 二〇エレのリンネル

本は見開き 左右対処

右ページ? 左ページ?

左ページ? 右ページ?

左右対処 本は見開き

落とし穴には気をつけよう

覗く = 穴 = 落ちる

落ちる =穴 = 覗く

夜、安部公房『箱男』(新潮文庫)再読。

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束見本を作るひと

束見本。それは誰がどのように作っているのだろう?
束見本は通常二、三冊しか制作しない。また本の仕様はそれぞれ異なることから大量生産向きの大型機械にご登場は願えない。
よって職人さん、人の手にお願いする事となる。


本文、カバーなどの印刷物、花布(ヘドバン)やしおり(スピン)など、本に必要なすべてが集まってくる所が製本工場だ。その広い構内には多種多様な大型の機械がズラッと並び整然と規則的に動いている。その片隅に黙々と働く職人さんの姿を見ることができる。
職人さんの机の上には細かな本の各パーツがたくさん並んで、ひとつひとつが手で本に組み立てられてゆく。工場から響く音の中にあっては、異なった時の流れをその手の動きは醸し出しているように感じてくる。
デジタル化の流れにさまよう紙の本ではあるけれど、その本というカタチがずっと続いてゆくよう思えた気がしたのはノスタルジーだけではないはずだ。

どこから見ても表情はヒトしだい

職人さんの中には、手作り本の工房をされている方もいると聞いた。
丁寧に作られたオリジナルな一冊は、依頼者からの大切な視線の元、新たに生まれ変わって存在し続けてゆくのだろう。


束を確認するためだけに生まれてきた本としての束見本が、出版社の机や本棚の隅っこにあるのを見かけたりする。
その定位置で、商業出版と自費出版での異なった空気や時間、それぞれの光の当たり方の違いを見せてくれたりする束見本。
真っ白な紙の連続する読むためでないその本のページをパラパラとめくりながら、いつの日かきっと「誰か」が「何か」を記しているだろう、書(描)いているだろうと想像してみるのは楽しい。
じっと目を凝らす時節である。もしかしたら見えないだけで、何かが書かれているのかもしれない。

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